私たちそれぞれは、自分の目でもって見極めなくてはならないと思う。そうしなくては、知らぬ間に国家規模の大きな犯罪に加担していたり、また、食品で病気にさせられていることも事実ある。自分で判断する間も与えられねば、エスカレーター式で天国行きだ。「前向き」だなんてばかげたコピーが流布していて、そういうコピーは、新聞やテレビを通して思考回路に刷り込まれる。そんなシステムで国民生活は回転する。ひどいと思う。社会が善良だなんていう幻想をまず認めて、この悪夢から開放されるべきだろう。チベット問題の報道について、社会構造の隠蔽体質が明らかに見て取れると思う。国民は、演出された同意によって扇動され、潮が引くように、問題を置き去りにしたまま、問題意識を忘れさせられる。こうコントロールされてばかりだと、人が生きていく自律性さえ、よくわからないものにさせられてしまう。そういうことが怖ろしい。世の中が暗く、命が見えないのはこれが原因じゃないか。命が軽く扱われるのは。有象無象の溢れる中に、自分ひとりだけが正気でいる。正しい意識でいるはずだと思うと、大多数からは狂人と思われている。狂っている人が1000人いて、彼らに理解不能ならば、1人の者は狂人と呼ばれ、疎まれ、白い目で見られたり。それだから、多くの者は世間に迎合しようと思う。若いうちには勢いがあっても、“まとも”風に見られるために、世間体を気にして自分を無くす。ほんとうに正気な人は少ない。わずか、出会えることは稀なことで、出会えたとしても、人は変わらないとは限らない。我一人のみ独特の考えでいれば、言葉の通じる相手は減る。孤高であることの不安や寂しさがあり、そのために注意がもっとも必要なのは、自分自身に他ならない。自分自身を疑わなくては。